城(新潟県)
津南町の今井城へ(6月19日)。 築城年は、平安時代末期。 築城者は、今井兼平とありましたが、いろいろ調べると否定的な意見を述べてらっしゃる方もいます。 国道117号線の大井平入口バス停のあたりに今井城を示す看板があります。 そこから2km程…
長岡市の片刈城へ(5月30日)。 戦国時代の城主は、森光矩。 知りません…。 上杉謙信没後に起こった「御館の乱」で、片刈城主の森光矩は上杉景虎方についたため、上杉景勝方に攻められ、落城の日には妻子を殺害して激戦討ち死にしたという逸話が伝えられて…
刈羽村の勝山城へ。 城主は、野呂一伯。 文治年間(1185年〜1190年)の築城だと推定されます。また、戦国時代には赤田城主斉藤朝信の家臣、野呂一蒲の城であったと推定されます。特に遺構は残っておりませんが、近くの赤田城の支城としての役割を果…
新発田市上三光の竹俣東城へ(5月29日)。 築城年などは不明ですが、戦国時代に活躍した竹俣為綱・竹俣慶綱の頃に竹俣城の東の麓に造られた城であると考えられます。 ただし、ご覧のとおり城跡を示す石柱は残っておりますが、遺構は特段残っておりません…
村上市の笹平城へ(5月29日)。 本庄繁長の乱の際に、上杉謙信の指令により鮎川氏により築かれた城であると考えられております。 まぁ、この本庄繁長の乱に際して重要な役割を果たした程度で、その後、重要な役割は果たさなかったようです。 なにせ、この…
新潟県村上市の大葉沢城へ(5月29日)。 鮎川氏の居城でありますが、鮎川氏も大葉沢城もあまり有名ではありません。 しかし、しかしです。 ここの連続畝状阻塞は実に見事です。 ここまで保存状態の良い連続畝状阻塞は、全国的に見ても珍しいと思います。 …
長岡市柿町の柿城(味噌桶城)へ(5月9日)。 味噌桶城なんて別名があるんですが、味噌を入れる桶の形にでも似ていたからなのでしょうか。 別名の由来は不明であります。 築城年代は、南北朝時代と推測されます。 築城者は、岡野氏。 岡野氏は越後国守護と…
長岡市気比宮の「あら城」へ(5月9日)。 平仮名の名前の城なんて珍しいですよね。 築城者は仙石氏。 築城年は不明。 仙石氏は、小木の城主松本左馬助の家臣と言われております。。 1598年、上杉景勝の会津移封により廃城となったと思われます。 一応…
日中、何もしないのは勿体無いので上越市頚城区の雁金城へ(4月17日)。 別名は、花ヶ崎城。 新潟県内の城に行くのは久しぶりです。 標高156mの山城であります。 城主は、佐々権右衛門と言われていますが、確かなことは分からないとのこと。 あまり人…
柏崎市椎谷の角城へ(12月27日)。 超マイナーな城であります。 たぶん、インターネット上で写真が公開されるのは初めてのことでしょう。 角城の歴史をしべたところ、1507年(永正4年)越後守護の上杉房能が、越後守護代の長尾為景(上杉謙信の父)…
柏崎市椎谷の椎谷陣屋へ(12月27日)。 今回は、城跡というより厳密には藩跡です。 私が、城巡りしているのと同様に、藩跡巡りとかしてるひともいるんだろうなぁ…。 椎谷陣屋は、江戸時代の椎谷藩の跡地です。 椎谷藩の石高は1万石。 江戸時代、藩の定…
糸魚川市の徳合城へ(11月29日)。 城主は、村上義清の子である村上国清と言われております。 村上義清は、信濃の豪族でしたが、武田信玄の侵攻により長尾景虎(上杉謙信)を頼り越後へ逃げてきたことで有名ですな。 宝昌寺には、村上国清の墓がありあま…
弥彦村の桔梗城へ(11月28日)。 これまたマイナーな城であります。 戦国時代より500年ほど前、今から1,000年も昔の城です。 説明板には、吉川宗方が築城したと書かれておりますが、初めて聞くお名前です。 はじめまして。 いや、こりゃどうも(…
上越市清里区の京ヶ岳城へ(11月29日)。 主な城主は不明です。 ただ、戦国時代には春日山城の支城だったと思われます。 信越国境に近いので、狼煙の中継地点や、見張りの城として重視されていたことと思います。 良く整備されており、案内板もありまし…
長岡市芹川の芹川城へ(11月22日)。 芹川(せりかわ)と読みます。 こちらもマイナーな城です。 南北朝時代の城主は、大島頼興。 戦国時代の城主は、五十嵐久三郎。 解説版によると1909年(明治42年)に村の有志が城跡碑を建立したとの事。 こう…
燕市横田の横田城へ(11月22日)。 マイナーな城です。 城主は、三条城主山吉氏の家臣である横田蔵人。 ん〜、聞いたことありません(笑)。 集落の端っこの稲荷神社に石碑がありました。 「横田筑後守城址」と書かれた立派な石碑がございました。 なお…
糸魚川市の金山城へ(11月7日)。 国道8号線の早川橋近くに早川橋西詰という交差点で曲がり、県道270号線を進むと押しボタンの信号機があり、そこに金山城という看板が出ています。 その後、看板はありませんが、道路地図には載っております。 北陸道…
糸魚川市の不動山城へ(11月7日)。 城主は、山本寺孝長。 山本寺家は、越後守護上杉氏の一族であり、上杉家では有力な武将であります。 解説板が充実しており、分かりやすいです。 本丸からの眺めはご覧のとおり、素晴らしいものです。 北アルプスの山々…
十日町市の室野城へ(10月25日)。 1362年〜1368年頃に室野城主の渡辺民部太夫が攻められ敗死したようです。 その程度のことしか分かりません。 いまだ調査中といったのが現状であります。 ただ、近くには犬伏城もあります。 上杉謙信が関東出陣…
五泉市の雷城へ(10月17日)。 雷(いかずち)城と読みます。 雷城は、上杉謙信が芦名軍からの侵攻に備え築城させた城で、一時期ではあるが芦名軍により占領されたこともあるらしい。 五泉市は春日山からかなり離れており、揚北勢の勢力範囲に近い地域で…
新発田市の池之端亀形城へ(10月17日)。 城主は池端鴨之助。 鴨之助だって。 この城らしい名前ですな。 と言うのも、この城は現在でも湿地っぽくなっており、戦国期は更に湿地が広がっていたと思われるからです。 きっと鴨獲りでもしてたんでしょうな(…
大天城に引き続き、新発田市の加地城へ(10月17日)。 こちらは鎌倉時代の城で、築城者は佐々木盛綱です。 戦国時代には、城主の加地春綱が上杉謙信の姉(妹?)を娶って重用されたようです。 これは、いわゆる阿賀北衆に睨みを効かすための、一種の政略結…
新発田市の大天城へ(10月17日)。 城主は青鬼堅人(あおきかんど)となってますが、どなたか存じ上げません(笑)。 案内板によると平安時代末期の人らしいです。 青鬼ですよ、青鬼(あおおに)。 現在、大天城は大天城公園として整備されており、野球…
上越市柿崎区の猿毛城へ(10月12日)。 柿崎といえば柿崎景家でございますな。 上杉軍一の猛将でございます。 その分、知慮に疎いという評判もありますが…。 主要な戦いには全て参加しており、川中島の戦い、小田原北条攻め、北陸攻めと参加し、武勇を轟…
三条市の高城へ(10月11日)。 築城者は、長尾豊景と言われております(1426年)。 長尾豊景っても、知りません。 初耳です。 ちなみに看板によると、 「5代目城主である長尾藤景は、川中島の戦いの際に上杉謙信の危急を救ったが、酒宴の席で度々こ…
今日は長岡城について。 同じ長岡市には、天地人の主役である直江兼続の居城であった与板城もありますが、長岡城は長岡藩の城、つまりは江戸時代からの城ですので、残念ながら直江兼続とは関係ございません。 この天守閣は、悠久山公園にある郷土歴史記念館…
柏崎市米山町の旗持城へ(10月4日)。 旗持城が歴史上に登場するのは、1578年に起きた御館の乱で、上杉景勝方の佐野清左衛門尉が立てこもり、奮戦したとのことです。 標高366mであり、近くの米山(993m)の子分みたいな山ですな。 この地は、…
新潟市の木場城へ(9月27日)。 城主は、山吉景長。 新発田重家の乱では、上杉景勝側の最前線基地となりました。 当地は、上越新幹線と関越自動車道に囲まれた地となっております。 戦国時代は、当たりは田んぼではなく、沼地であったと推測します。 解説…
新潟県阿賀町の津川城へ(9月27日)。 SW中は、県外遠征が続きましたが、今回は県内の城へ。 津川城は、新潟県と福島県の県境近くに位置しております。 城主は葦名軍配下の金上遠江守であります。 おう、信長の野望に登場する葦名家の弱い武将ですな(…
小千谷市の深地城(慎知城)へ(8月29日)。 ここは、城という感じは全くありません。 もう新潟県の城は大体行ったのでマニアックな城しか残っておりません。 ちなみに新潟県内の城は70ヶ所以上行きましたが、「これを城と認定して良いものだろうか?」…