上越市柿崎区の猿毛城へ(10月12日)。
柿崎といえば柿崎景家でございますな。
上杉軍一の猛将でございます。
その分、知慮に疎いという評判もありますが…。
主要な戦いには全て参加しており、川中島の戦い、小田原北条攻め、北陸攻めと参加し、武勇を轟かせました。
1574年、織田信長に通じたとされ謙信により誅殺されたとされますが、定かではないようである。
ちなみに天地人に登場する柿崎晴家ってのは、景家の子です。
柿崎晴家は、上杉謙信亡き後の御館の乱で、早々と上杉景虎支持を表明していたので、春日山城に近い晴家の影響力を警戒した上杉景勝側に殺害されました。
この地は上越地区と中越地区を分ける非常に重要な地なんです。
さて、猿毛城ですが、猛将で名高い柿崎殿の城として似つかわしくなく、整備はほとんどされていません。
猿毛集落の外れにある城山神社の右側後ろに獣道のような道がありまして、そこから登っていきます。
それも、急ですし、石段なんかも全くないので汚れてもいい服装と、必ず軍手を持って登ってください。
それから単独では危険なので、必ず複数で登られるよう。
今まで数多くの山城に行きましたが、ここの整備状況は最悪の部類に入ります(ってか整備されてないし)。
全く整備はされてませんが、たまに登山者がいるらしく、迷わずに登れるようにはなっています。
途中、石垣のようなものがありますが、石垣なのか、自然の石なのか区別できません。
そんな獣道を40分ほど登ると本丸跡です。
本丸には城跡らしきものは何もありません。
ただ、1年に1回程度は整備されてるような感じでした。
国土地理院の三角点がありました。
それから塚がありまして、柿崎家が景勝派と景虎派に別れて戦った際の死者を葬ったものであるとのことです。
この猿毛城は、籠城の際に立て籠もったと思われます。
普段は、麓の柿崎城で過ごしていたのでしょう。
柿崎景家という猛将で有名な地ですが、柿崎城といい猿毛城といい整備状況は悪い部類になります。
柿崎城は、現在、柿崎ICとなっており、看板が残っている程度です。
柿崎城については、下記のリンクを参照のこと。
それでも、現在に至るまで「柿崎」という地名が残っているだけでも喜ばなければならないのかもしれませんね。
何を意味する石柱か不明
猿毛城を示す唯一の木柱
倒れた石柱
石垣のようにも見えるが…
獣道
本丸(左が塚、右奥が米山)
本丸から上越方面(春日山城方面)を望む
三角点(標高478.9m)
猿毛城(遠景)