顕法寺城

上越市吉川区の顕法寺城へ(5月16日)。
山奥でありますが、眺めが良かったです。
上越市方面の春日山城柏崎市方面の米山を眺望でき、遠くは日本海を望むことが出来ました。
米山の近くに旗持城というのがありますが、この顕法寺城からハッキリと望むことが出来ます。
やはり狼煙の伝達に重要な中継点であったと推測できます。
春日山城→顕法寺城→旗持城→枇杷島城や柏崎方面の城ということで狼煙を中継していったことでしょう。
本丸下に貯水場跡なんてのもありました。

・顕法寺城ミニ情報
顕法寺城の歴史は古く、南北朝期の歴史にはすでに登場してくる。
南朝方の越後守護上杉氏の城であった。
 文和4年(1355)、3月4日、上杉憲顕の子憲邦と家臣の宇佐美氏は、越後北朝軍と戦うために、この顕法寺城を拠点として兵を挙げた。
風間長頼の率いる軍勢が、顕法寺城の庄に打ち入って合戦をして、顕法寺勢は六角峯において敗れた。
ここで顕法寺城の軍勢は退却して柿崎城に籠った。