めだか教室

小学校2年か3年の頃、柏崎市中越スポーツハウス(現、柏崎市スポーツハウス)で行われていた「めだか教室」というところに行かされました。
ちなみに、この「めだか教室」というのは現在でもあるみたいです。
今でも当時のことは良く覚えていますが、週1回、日曜日の午前中1時間で10週間でした。
我が家の場合、何の予告も無く突然こういう所に行かされていました。
これが嫌で嫌で日曜日になるのが憂鬱でした。
この教室には2シーズンにわたり通わされました。


最初の1シーズン目。
10人くらいいたのですが、まずは水の中に頭を入れられるかどうかからスタートしました。
で、自分だけ水の中に頭を入れることすらできませんでした。
言い訳ですけど、この前段に話があります。
保育園に通ってた頃、年長になると小学校のプールに行って水に慣れる授業というのがありました。
ここで、今でも覚えていますが、ある児童に無理やり水の中に頭を押し込められ死ぬ思いをしたのです。
そこから水恐怖症になり、プールとなると、いかにして休むかということばかり考えるようになってしまったのです。
さて、話を戻しますが、とりあえず頭を水に入れるくらいはできるようになり、先生も優しく教えてくれたので、休まず通い、5メートル泳げるようになったという認定証みたいなのをもらいました。
その後、しばらく経って、また通う事になりました。


2シーズン目。
今度は、クロールで泳げることが目標の教室でした。
まず、プールに入ると蹴伸びをやった後、クロールをするというのもでした。
今、考えてみるとバカバカしいですが、当時は、クロールをすることさえ怖かったのです。
怖いというか恥ずかしいというか。
1回目、クロールをしなくても先生は助けてくれましたが、2回目以降は助けてくれません。
プールは深く足は立ちませんので、当然、溺れそうになるわけですよ。
それが、とにかく怖くて怖くて。
で、この2シーズン目は、3回目の時に、プールサイドで先生に「朝からお腹が痛いので休ませてください」とウソを言って休みました。
先生には、「体調が悪ければ来ちゃダメじゃないか」と言われたのを今でも鮮明に覚えています。
その後は、1回も出席することはありませんでした。
でも、日曜日の朝になると親は連れて行くわけですよ。
いくら泣いても、わめいても。
親もいろいろ行かせようとして、当時、東柏崎駅前にあったファミリーデパートでジュース買ってもらったりしたのを覚えています。
行かなければ親に怒られるし、行っても怖い。
四面楚歌ですよ。
私は、隠れる事にしました。
プールにつれて行かれましたが、更衣室で1時間中、隠れていることにしたのです。
小学生にとって、この1時間は長かったです。
ある時に、どこかのオジサンに「君はここで友達でも待っているのかな?」と聞かれたこともありました。
そして、終わる頃になると、頭と水着を濡らして出て行きました。
確信犯だな(笑)。
いつ親にばれるだろう。
いつ教室から家に電話があるか、そんな恐怖の日々でした。


結局、こんなことですから泳げるようにはなりませんでした。
しかし、人生とは厳しいものです。
このまま、泳げないで過ごすことはできませんでした。


進学した柏崎高校では、文武両道を標榜しており、3年間で全員50メートル泳げる事になるのが目標でした。
それで、クラスの数名の泳げない連中と特別クラスで教えられました。
で、3年の卒業する年には、1回も休むことなく50メートル泳げるようになりました。
人の2倍も3倍も時間がかかりましたけどね。


ちなみに、隠れて教室に行かなかった話は、20歳を過ぎたころようやく親に「あの時は隠れていたんだ。」と開き直って言える様になりました。
親は、「だいたいそんなことだろうと思っていた」と言っておりました。


まぁ、今から考えると親は私を柏崎高校に行かせようと考えていましたので、小学校の頃から、「高校に行って泳げないと可愛そうだから教室に行かせた」のかもしれません。


一生忘れない、小学校時代の出来事でした。