森下城

3月28日、森下城へ。
城というか、写真のとおりで、これだけしか残っていません。
地図には出てますけど、案内板は全くなく、見つけるには苦労します。
ただ、地形を見る限り、城らしいものがあったであろうことだけは想像できます。
この段差と、石垣の一部が残っておりました。
また、近くには加藤丹波守腹切石というものがあります。
この石に寄りかかって切腹したんだって。
本当なんですかねぇ。


天神城、鎌田城とも呼ばれ沼田城団の一つとして作られたといわれる。
 後に、真田、北条氏によって前衛の砦として利用された。天正10年(1582)北条氏に攻められ、加藤丹波守が奮戦した模様は沼田元祖記にくわしい。
(現地案内板より)


天正10年(1582)10月20日、北条氏邦によって、この南西500メートル付近にある森下城が攻められ、城を守っていた加藤丹波守は、よく防戦につとめたが北条の大軍に抗しきれず、城を出て、最後の一戦を試みた後この石に腰かけ切腹して果てたという。
(現地案内板より)