北條家住宅

佐渡市泉の北條家住宅へ(2013年6月24日)。









北條家の祖先は丹波国の出身で、寛文3年(1663)直訴の罪により佐渡へ流され、元禄8年(1695)赦免後当地に住みついたと伝えられています。以来、代々道益を名乗り、医を業としてきました。住宅の建築年代については、資料がなく明らかではありませんが、手法からみると18世紀後半と考えられます。

桁行16.6m、梁間10.1m、寄棟造、茅葺で、南正面と西側面に桟瓦葺の庇(ひさし)を設けています。現荏の庇は後設されたものですが、正面の庇はもとからあったと思われます。

構造は梁間(はりま)4間に、牛梁(うしばり)を挟んで二重梁を架け、梁上には真束と小屋束を立てて貫で固め、叉首を組みます。柱は総体に細く、側柱と内部柱の差が少ないです。柱間寸法は畳長さ5.85尺を基準として決めているようです。

平面は桁行9間のうち、西寄り2間半を土間とし、後方には床板を張っています。床上部は喰違い4間取りの上手に2室を加えた形式で、桁行6間半のうち土間寄り3間が「おいえ」と「なんど」、つぎ2間が「なかのま」「ざしき」、一番上手が6畳室と縁付の4畳室となります。座敷には床、仏壇を設け、天井は「なんど」を根太(ねだ)天井とするほかは、各室とも竿縁(さおぶち)天井を張っています。
この住宅は新潟県下でも越後の民家に比べて木柄が細く、座敷回りには洗練された感があります。佐渡地方を代表する遺例であり、保存は極めてよい状態です。
新潟県公式観光情報サイトにいがた観光ナビのHPより引用)