善根冬城

新潟県柏崎市善根の善根冬城へ(4月15日)。
築城者は、不明。
築城年も、不明。
1555年、武田信玄に内応した北条城の北条高広を攻めるために、上杉謙信が善根に出陣したという記録があります。


善根冬城がインターネット上で紹介されるのは、これが史上初でしょう。
これまで善根冬城が紹介されているページを見たことありませんから。
名前だけなら掲載されているのを見たことはありますが。
ちなみに善根冬城は、善根城(八石城)とは別の城であります。
名前から想像するに、この地は柏崎市でも雪が多い地方であるため、冬期間は善根城(八石城)を使用するのではなく、この善根冬城を使用していたのではないかと推察されます。
しかし、登城した4月15日時点でも残雪があったように、善根冬城を冬期間に使用することさえも難しかったと思います。
きっと有事の際以外は、善根集落のあたりに居住していたと考えるのが自然だと思います。


さて、登城口は全く整備されていませんし、案内板も皆無なのですが、八石神社の裏から登ります。
八石神社の裏手に少し急な山があるのですが、ここまで登り、あとは尾根沿いに進むのが分かりやすいと思います。
まず、小堀切があります。
続いて、さらに尾根沿いに進むと大堀切があります。
削平地がいくつかあるのですが、どこが本丸跡かまでは確定に至りませんでした。
ただ、確認しただけで3ヶ所ほど大きな削平地があったので、そのうちのどれかだと思われます。
最後に、畝状阻塞を見て、再び道なき道を下山しました。


まだ残雪が残っていましたが、見学するには今の時期か下草が枯れた秋しかないでしょう。


善根の飛岡に淨廣寺というお寺があるので、毛利淨廣と関係があるのかなと思いました。
ちなみに、この毛利氏というと広島県毛利元就が有名ですが、鎌倉時代末期から南北朝時代の初期に、毛利氏の一部がこの柏崎から広島に移住したのが安芸毛利氏の始まりだとされております。


八石神社入口

小堀切

大堀切

本丸跡?

土塁

畝状阻塞

淨廣寺

善根城の訪問記録はこちら↓
善根城(八石城) - 「未来の大富豪」の日記