中越地震から1年

中越地震から今日で1年が経過しました。
2004年10月23日(土)午後5時56分、それは突然でした。
私は自宅の2階にいました。
始めは小さな揺れでしたが、だんだんと大きな揺れとなり立っていられないほどになりました。
その時は、地震という感じはありませんでした。
揺れているのに地震と感じなかったとは変な話ですが、地震というより、地球が壊れるというか、この世の終わりというか、そんな感じさえしました。
余震も絶え間なく続き、停電になり、ガスや水道などのライフラインも全て不通となりました。
道はいたるところで陥没し、車が走れる状況ではありませんでした。
翌朝食料を買いに近くのコンビにまで行きましたが、売り切れたのか食料が届かないのか、商品も品切れ状態でした。
果たしてこんなことで普段の生活に戻れる日は来るのか心配しましたが、幸いにも私のところでは今では普段と変わらない生活を送ることができています。
しかし、まだ仮設住宅で生活している方も多くいます。
その時の教訓をどう生かしていくか、大切なことだと思います。




中越地震1年、犠牲者の冥福祈る…小千谷で合同追悼式
51人が犠牲になった新潟県中越地震から1年になった23日、同県小千谷市総合体育館で県と被災8市町主催の合同追悼式が行われた。

 犠牲者一人一人の名前が読み上げられる中、遺族や被災者ら約800人が祭壇に白菊を供え、犠牲者の冥福を祈った。

 被災地を代表して長岡市の森民夫市長が「震災の教訓を生かし、日本一安全、安心なまちを目指して復興を成功させるのが私たちに課せられた使命」と決意を表明。妻を亡くした小千谷市の佐々木与吉さん(74)が遺族を代表し、「肉親を失い、言葉では言い表せない日々を過ごしてきた。震災を忘れず、自分の力で立ち上がりたい」と思いを語った。

 被災地では、今もなお2812世帯、9160人が仮設住宅で暮らしている。
(読売新聞) - 10月23日13時22分更新