高校時代

柏崎高校入学後、高校生活にはあまり馴染めなかった。
出だしが悪かったのである。
この高校は文武両道というのが学校の方針であり、勉強も運動もできなければ厳しい受験も乗り越えられないし、世の中では活躍でいないといった主眼の下に教育が行われていた。
今でもよく覚えているが、高校1年の体育では、整列の番号のかけ方が分からず、「お前は中学校の時に整列の番号をかけたことないのか?」と聞かれたので「ない。」と答えてやった。
だって、本当に「ない」のだから仕方あるまい。
みんなの前で何回もやらされ、もう嫌だという気持ちになったのを覚えている。
真剣に退学したいと考えたこともあった。
そして、柏高体操とか、体育日誌とか、訳の分からん制度がいくつもあった。


中学校時代に仲の良かった友達は、他の高校に進学した人が多く、また、新しい友達を作ろうとする勇気もなかったので大して友人もいなかった。
友達の作り方が分からなかったのだ。
人の輪に入っていけなかったのだ。
本当に気の小さい情けない男だったと思う。


部活もしていなかったので、特に何か打ち込んだという記憶もない。
友達と食事に行ったり、カラオケに行ったことすらない。
そんなことだから、恋愛なんてのは皆無。


とはいっても、楽しいこともあった。
将棋の強い先生がいて、夏休みの補習授業の後や修学旅行の際にも一緒に指したりしていました。昼休みなどに友達と将棋をしたりもしていた。
小さな楽しみではあったが…。


進学校であったので、勉強ができる人は多かった。
自分はこんな高校生活を送っていたので、下から数える方が早かった。
また、受験については後日、詳しく書いてみたいと思っている。


高校3年になると、体に変調を感じるようになった。
腰が痛い。
何週間しても治らないので、整形外科に行ったら椎間板ヘルニアと診断された。
イスに座っているのも痛い。
痛み止めや座薬を入れる日々が半年くらい続いた。
そんなことだから勉強に打ち込むことができず、この程度の大学しか行けなかったと家族に話したら「言い訳でしょ。」と言われた。
まぁ、確かにそうではありますがね(苦笑)。


ヘルニアは治った訳ではないが、次第に痛みも少なくなり、普通に生活できています。


そんなことではあったが、滑り止めで受けた大学に合格し、何とか浪人せず進路が決まった。

楽しい高校生活ではなかったが、この3年間、初めて少し広い世界に出て、社会の入り口を経験したように感じている。
であるから、無駄な3年間だったとは思っていない。

こうして、暗い高校時代は過ぎ去ったのである。
(続く)