A塾

5年生の夏休み。
酒に酔った叔父は、友人が経営する柏崎市のA塾に電話し、「柏崎高校へ行かせようと思っているのだが、イマイチの甥っ子がいるから面倒を見てもらえないか?」と勝手に電話し、突然、翌日に面談を受けさせられた。
で、何の前触れもなく公文は止めさせられ、A塾へ通うこととなった。
自分の学校以外の生徒と触れ合うのはこれが初めてであった。
今から思えば、そのことは私の人生において大きな財産となった。


5,000円という安い月謝で、熱心に教えてくれる教師であったが、間違えると怒られるため、塾で勉強する内容の予習までやっていったものである。
面白かったのは、勉強するだけではなく、休み時間には、しりとりや百人一首といったゲームをすることである。
こちらのゲームを楽しみに通っていたようなものであるが…。


中学校になってもA塾へ通い、3年時の夏休みや冬休みには補習までやってくれた。
おかげで、成績も良くなり、柏崎高校へ入学することができた。


約5年間、週2回送り迎えをしてくれた両親にもありがたく思っている。


幼いころから柏崎高校へ行くことが至上命題のように教育されてきたため、無事に役割を果たせたという感覚であった。
親は、「柏崎高校へ行って、新潟大学を出て、先生にでもなってくれたら…。」と常に言っていた。
確かに、柏崎高校へ行くことには私も同意見であったが、新潟大学には行きたくなかったし、先生にもなりたくなかった。
だから、その先の進路は違うのだが…。


高校に入ってからもA塾で学ぶことは可能であったが、この教師は、「高校へ入ったら大人として扱う。厳しく扱う。」と日ごろから言っていたので、臆病者で恐れをなした私は、中学までで卒業させていただいた。
何と気の小さな男なんだ。
歴史に「もし」はないが、高校に入ってからもA塾に通っていれば、また自分の人生も大きく変わっていたのかもしれない。
確かに柏崎高校へ入学した。
しかし、その後、人生において暗黒の6年間に突入していくこととなるとは想像もしていなかった。
(続く)