二俣城

静岡県浜松市の二俣城へ(8月21日)。
築城者は、瀬名一秀。
築城年は、1506年頃。


1572年になると武田信玄が二俣城を攻略しました。
武田信玄死後の1575年になると徳川家康が二俣城を奪還いたします。
その後は、徳川家康の家臣である大久保忠世が城主を務めました。


たこの二俣城では、1579年に徳川家康の長男である徳川信康が、織田信長から武田家と内通しているとの嫌疑をかけられ、自刃するという出来事もありました。
これについては諸説ありますが、私は、織田信長のでっち上げだと思います。
つまりは、無実の罪で切腹させられたと考えています。
享年20歳。
その際、無実の罪で切腹させられた徳川信康、そして父家康の気持ちを考えると非常に苦しかったと思います。
この辺は、よくドラマでも再現されてますからね。
関ヶ原の戦い徳川秀忠が遅参した際に家康は「信康が生きていればなぁ」と悲しんだといいます。


まぁ、そういう歴史がありましたから、信康廟にもお参りをしてきました。


現在、天主台跡の石垣が残っており、天竜川の流れを望むことができます。
二俣城を訪れた感想を一言で現すと、


「時は流れど 天竜川の流れは今も変わらじ」


という心境でございました。
短歌でも俳句でもありませんけど(苦笑)。



天竜川の流れ

信康廟



大久保忠世の墓