七尾城

石川県七尾市の七尾城へ(7月10日)。
築城者は、畠山満慶。
築城年は、1428年。
日本100名城に指定されております。


七尾城は2回目の登城であります。
前回は真夏の晴天でしたが、今回は雨でした。
それでも登城していると徐々に天気も回復し、時間をかけて見学をすることができました。


そしてこの地は長谷川等伯の出身地でもあるんですな。
そういうところからも、畠山氏の時代には文化も栄えていたのだと実感いたしました。


七尾城がこれほど有名なのは、やはり上杉謙信の影響でしょう。
パンフレットには
「謙信も絶賛 戦国の巨大山城」
と紹介されております。
上杉謙信に1年以上包囲され、1577年にようやく落城しました。
本丸からの眺めの素晴らしさに、謙信は感嘆したといいます。

そして

霜は軍営に満ちて秋気しゅうき清し
数行の過雁かがん月三更さんこう
越山併えつざんあわせ得たり能州のうしゅうの景
遮莫さもあらばあれ家郷遠征かきょうえんせいを憶おもう

と詠ったそうな。


ちなみにここに「越山」と出てくるところから田中角栄越山会と命名したとの説がありますが、調査の結果、これはどうもウソらしいです。
越山とは「越後から関東へは山を越えなければならない」
ということで「越山」というのが正しいらしいです。
それ以上もそれ以下もないと…。
まぁ、余談はここまでにして。


麓には七尾城資料館があり、ここに100名城のスタンプが設置されております。
資料館を見学した後には、近くの懐古館も訪問してみるといいでしょう。
管理人のオジサンが詩吟を詠ってくれます。
ちょっとビックリしましたが(笑)。









本丸跡

温井屋敷(信長の野望では弱い武将ですが…)

二の丸跡

三の丸跡(一部土塁らしきものが確認できた)

安寧寺跡

九尺石(この辺りの崖も崩れておりました。九尺石に被害が及ばなければいいのですが…。)

調度丸跡(この大雨で土砂崩れしてます)

城山展望台から見た七尾城



七尾城からの眺め



畠山義総(畠山氏が最も栄えた頃の城主)

かわらけ

↓2年前の七尾城訪問日記
(今から読み直してみると、ずいぶん変なこと書いてますな。私、相当な上杉謙信カブレですから…。)
石川県への旅(七尾城) - 「未来の大富豪」の日記