高松城

記載するのを忘れてましたが、岡山城から備中松山城へ向う途中、岡山県岡山市高松城へも行ってきました(9月19日)。
羽柴秀吉が水攻めしたって城ですわ。
その時の城主は清水宗治
ちょうど水攻めしてた頃、京都の本能寺では織田信長明智光秀の謀反により自刃。
翌日、毛利軍へ本能寺の変を知らせる密使を羽柴軍が捕らえ、翌6月4日には高松城城主の清水宗治の命と引き換えに水攻めを止めます。
その後は、有名は秀吉の中国大返しですな。
ここんとこ見てると、やはり情報ってのは大切だと思いますわな。
仮に、この密書が毛利軍に届いてたら、また歴史は変わってたんでしょうな。


それに秀吉の決断力と行動力。
これも凄いですよね。
また、仲介役に毛利方の安国寺恵瓊を立てて交渉を進めるところも、人脈の広さをうかがわせます。


さて、そんな高松城
現在は、公園として整備されており、当時の遺構はほとんど残っておりません。
城跡を示す石碑も「清水宗治城跡?」と書かれているようですが、読み取るのは困難な感じです。
それでも記念館には様々な資料が残されており、全国各地から訪れている人がいました。
清水宗治首塚もあります。