千葉県佐倉市の臼井城へ(12月18日)。
築城者は、臼井常康。
築城年は、1114年頃か。
今回、再び関東遠征。
それにしても今年は何回関東遠征をしただろうか。
たぶん十数回ですわな。
500年前に上杉謙信が度々関東出陣したのと同じことをやっているわけであります。
1566年、上杉謙信は里見義弘と共同で臼井城を攻めました。
攻めたのはいいですが、 二郭から主郭へと向かう虎口の土橋にて大苦戦。
数千にも及ぶ死傷者を出し、退却します。
謙信って城攻めを苦手にしていたみたいです。
ちなみに、この臼井城、実際に訪れて分かったことですが、非常に堅城であります。
斜面も急ですし、上から岩を転がし弓矢を放てば、そう簡単に落ちるものではないでしょう。
強引に攻めれば死傷者を多く出すのは明白であります。
しかし、なぜ謙信は強引に攻め込んだのでしょうか?
やはり時間との戦いだったんでしょう。
長時間、関東に駐留していると武田信玄がまた北信濃を牽制してきますからね。
結局のところ、川中島でも決着をつけられず、関東でも決着をつけられず…。
ん〜。
謙信が大敗北した地を訪れ、失敗から何を学ぶか。
失敗からどう立ち直るか、それが大切であるということを身を持って感じた次第であります。
大規模な空堀
上杉謙信は、この土橋から強引に攻撃を仕掛けた。
しかし、本丸から丸見え。
数千にも及ぶ死傷者を出し退却を余儀なくされた。
生涯無敗を誇る謙信にとって、屈辱的な負け戦となった。
NHKの歴史秘話でも紹介されていた。
太田資忠の墓(太田道灌の弟)