倉賀野城

群馬県高崎市の倉賀野城へ(10月24日)。
築城者は、倉賀野光行。
築城年は、南北朝時代


戦国時代は倉賀野行政が城主でしたが、1546年の川越夜戦で戦死。
その後は、倉賀野尚行が城主となりました。
倉賀野城は、箕輪城の支城としての役割を果たしておりました。
支城とはいえ、上杉謙信武田信玄北条氏康にとり、重要な拠点でありました。
上杉謙信にとっては、関東の拠点であった厩橋城を守るためには死守しなければならなかったし、武田信玄にとっても箕輪城攻略のためにはぜひとも落としたい城でありました。
また、北条氏康も上野の国に侵攻するには重要な意味合いを持っておりました。


結局のところ、上杉謙信からしてみれば、川中島と同じことをこの倉賀野でやっているようなもの。
果てしない消耗戦ですわな。
まさに、何のために戦っているのかと思いたくなる家臣の気持ちも分かります。


現在、雁児童公園となっており、倉賀野城跡を示す石碑が残るのみであります。