岩槻城

埼玉県さいたま市岩槻城へ(8月7日)。
築城者は、成田正等。
築城者は、1478年。


太田資正の城でございましたが、陥落後は北条氏康方の城となりました。
今でも空掘が残っており、いかにも北条氏らしい空掘でありました。
城門と裏門が移築門として残されています。
埼玉県は現在では、大都市ですけど、戦国時代は大部分が湿地帯であったと思われます。
岩槻城忍城と同じように水に浮かぶような城であったことでしょう。


少し離れた所の愛宕神社には、豊臣秀吉小田原征伐の際に築かれた土塁の一部が残っております。
神社の裏手には、東武野田線が走っています。


岩槻城の別名は白鶴城ともいう。

空掘(いかにも北条流の堀である。)


岩槻城城門

岩槻城裏門

現在は岩槻城址公園となっておる。

岩槻城大構(岩槻城からは少し離れた所にある。)
現在は愛宕神社


時の鐘