割ヶ岳城

長野県信濃町の割ヶ岳城へ(7月25日)。
城主は柴津為信であります。


野尻湖の近くにある城であります。
元々は、上杉軍の城でございましたが、1561年、上杉謙信北条氏康小田原城を包囲してる際に、武田信玄により攻め落とされたとされる記録があります。


そう、1561年というのは上杉謙信にとって最も輝いていた年だと思います。
関東の反北条軍を結集し、北条氏康小田原城まで追い詰めます。
約1ヶ月にわたり小田原城を包囲しましたが、武田信玄信越国境に軍を繰り出したことから上杉謙信は、越後に引き上げました。


つまり、この信越国境に繰り出したとは、武田信玄がこの割ヶ岳城を攻め落としたこととも関連があるでしょう。


ちなみに、上杉謙信はこの小田原城を包囲してる際に、鎌倉の鶴岡八幡宮にて関東管領就任式を行いました。
念願の関東管領職に付くことができ、謙信もさぞ満足だったことでしょう。
まぁ、しかし、この関東管領職というのは名ばかりのものとなっており、意味を持たない職であったとされております。
つまり名ばかり職ってやつ。


しかし、関東管領職になることで、越後国内への影響力や、関東へ進軍するための大義名分を得ることができたのは確かなことだと思います。


登り口には看板がありますが、看板の先には民家しかなく、登り口はよく分かりません。
民家のオジサンに登り口を聞き登城した次第であります。
何気ない会話ですが、訪れた地で地元の人と話すのも楽しみの一つであります。


現在、割ヶ岳城には空堀や石垣が残っておりました。
石垣といっても崩れておりますが、またその崩れた石垣が当時を物語っており、何とも言えない感覚を味わうことができました。


本丸跡

石垣の一部だと思われる


割ヶ岳城推定図

割ヶ岳城遠景