小牧山城

愛知県小牧市小牧山城へ(3月21日)。
築城者は織田信長であります(1563年)。
織田信長は、桶狭間の戦い今川義元を破ると、本格的に美濃攻略を目指します。
その一環として、本拠地を清洲からこの小牧山に移しました。


私は信長の天下統一作戦において、次の2つがポイントだと思います。


1つ目のポイントは、兵農分離であります。
上杉謙信武田信玄などの領民は、農耕期は農業、農閑期になると兵士となっておりました。
ところが、織田信長は兵士は兵士、農民は農民というように兵農分離でしたので、農期に関係なく戦いをすることができたのです。
この点、上杉謙信なんかは、農閑期の冬は関東出兵とかできましたけど、農業の時期になると戦を止めなければなりませんでしたからね。


2つ目のポイントは、本日紹介する小牧山城とも関係してくるのですが、領土拡大に伴い本拠地を移動したということであります。
清洲小牧山→岐阜→安土というように、本拠地を移動した事により、移動に要する労力を極端に少なくする事に成功しました。
それに比べ、他の武将は、本拠地を移動しなかったため、移動に要する時間が多くかかったわけです。清洲城から稲葉山城を攻めるのより、小牧城から稲葉山城を攻める方が効率的ですからね。


さて、今回の小牧山城ですが、いかにも信長らしい城です。
安土城の構造に似ています。
本丸までの広い道や、大きな石垣。
ん〜、この地で信長が理想の国づくりをしていたのかと想像すると、こちらも気持ちが高まってきます。


信長が小牧山城を本拠地としていたのは4年程度ですが、なぜか信長の息遣いが伝わってくるような城でございました。





織田信長の時代から残る石垣の一部