若宮城

長野県飯綱町の若宮城へ(12月13日)。
別名、芋川城。
1404年に、信濃守護代の細川慈忠が奥郡進攻で下芋川城を攻め落とした記述が最初のようです。
その後1569年に芋川親正に宛てた武田信玄の書状に芋川城が登場します。
芋川氏が信越国境を守り、上杉軍への最前線に位置していたことが分かります。
1582年、武田氏滅亡後、織田信長家臣森長可の支配に対抗し、芋川親正が善光寺地侍一揆の大将として蜂起しましたが敗北しました。
若宮城(芋川城)について調べ分かったことは、そんなところです。


さて、県道60号線沿いに分かりやすく看板が出ています。
小路を入ると「遊歩道」という看板が出てくるので、すぐに分かると思います。
遊歩道の斜面は急であります。
10分くらい急な坂を上ると本丸跡に付きます。
ん〜、急斜面というか断崖絶壁のようになってるので力攻めするのでは、犠牲者を多く出す事になりませう。
こういう城は、兵糧攻めが得策でしょうな。


マイナーな城ですが、看板はきちんと出てますし、なぜか愛着が持てる城跡でした。


縄張図





ここの奥に登り口があります



本丸跡