羽根尾城

鎌原城に引き続き、群馬県吾妻郡長野原町の羽根尾城へ(11月15日)。
長野原町と聞きピンと来た人は時事問題に強い人でしょう(笑)。
そうです、八ッ場ダムの建設予定地であります。
八ッ場ダムの建設予定地にも行ってきたので、詳細は後日紹介することにしましょう。


さて、羽根尾城の築城者は羽尾幸全(こうぜん)であります。
城にまつわる話として、若き日の真田幸隆(滋野氏の一族)が武田信虎村上義清諏訪頼重に追われ羽根尾城の羽根幸全を頼りました。
羽根幸全は真田幸隆をかくまいました。
まさに命の恩人ってあけですな。
その後、真田幸隆は長野氏を頼り箕輪城で過ごしました。


そんな真田幸隆でしたが、滋野氏再興を目論み、武田晴信(信玄)と手を組みます。
そんな中、かつて庇護を受けた羽根幸全と戦う運命になってしまいます。
ちなみに、真田幸隆ってのは、真田幸村のお祖父さんですな。
戦国の世といえ、かつての命の恩人と戦うのは苦渋の選択であったに違いありません。
以後、羽根幸全は戦死したとも越後の上杉謙信を頼ったとも伝えられています。
私自身、羽根氏というのはあまり聞いたことのない一族でしたが、真田氏の命運を左右した重要な一族だったのですね。


本丸に近づくにつれて徐々に遺構らしきものが見えてきます。
まずは、空堀
明らかに人工的に手が加えられた感じで分かります。
石碑の建っている本丸跡の敷地は狭かったです。
たぶん、この城も狼煙の中継地点というのが実態だったと思われます。
また、本丸の奥には大きな空堀が確認できます。
小規模な城ですが、真田氏の運命を左右した重要な城とも申せましょう。



空堀

本丸奥の空堀

海野長門守の墓